近衛兵は動かない

イギリスの近衛兵は直立不動で微動だにしない。
もちろん呼吸くらいするだろうが、じっとしていることが彼らの仕事の一部なのだ。
そういう仕事を実はぼくもしたことがある。

都内某所。
全国からやってくる職員のために、ぼくは会場へいざなう案内板を持って立っていた。
20メートルほど向こうには、同期がやはり案内板を持って立っていた。
向こうの角を曲がったところには、また別の同期が立っていただろう。

通りゆくひとのほとんどは、こちらを一瞥するのみである。
そして、ぼくたち事務職員はだいたい現場職員から嫌われていたので、すれ違いざま「立っているだけでラクでいいな」と嫌味を言われることもあった。
しかし、立っているだけというのは意外と結構かなりキツい。
レジでもライン作業でも、立ちっぱ仕事の経験者にならきっと同意を得られるだろう。
退屈な、セルフエコノミー症候群予備軍。

そこでぼくは、イギリス近衛兵になったのである。
案内板を持ったまま、直立不動で微動だにしない。
向こうに見える同期は身体をゆらゆら、体重移動に暇がないが、こちとらイギリス近衛兵である。
どんなに血流が滞っても、屈伸をしない。
それはまさに、ひとりフラッシュモブ。
ひとりマダム・タッソー蝋人形館。

そんな遊びを1時間ほどやっていたら、先輩職員が「もういいよ、おつかれさま」と案内板を回収しにきてくれたのが、いまから10年ちかく昔のことである。

先日、久しぶりにジョギングをしたら、シラサギが田んぼの真ん中でじっとしていた。
獲物を狙っているのか、眠っているのか、ゆうべ飲みすぎて後悔しているのか、知らない。
まさかイギリス近衛兵になっているなんて、誰もおもわない。

カエル講話

近所の田んぼ沿いを歩いていると、ときどきポチャンとカエルの飛び込む音がする。
いつも驚かせて申し訳ないなと思っていたら、ある日、道路側に飛び出すカエルに会った。
彼の進行方向はクルマに轢かれる方角である。
そうして実際にクルマがきた。

仕方がないので彼の行き先を手でシャットアウトし、その手で触れた。
彼は私の思惑どおり進路を変え、田んぼへポチャンと帰っていった。
クルマは何事もなく過ぎて行った。
私は正直なところ「いいことをしたから、いいことがあるといいな」と思った。

ただ、彼の身になってみればクルマの脅威など知らず、行動を妨げられただけである。
感謝するどころか、驚かせやがって、というのが実際のところだろう。
つまるところ、全体が見えないと分からないのだ。

今回はぼくがカエルに関係したケースだが、宇宙から見ればぼくは塵のようなものだ。
認識不可能な世界がぼくに関係し、コノヤローと思わされても、実は勘違いかもしれない。
もちろん「勘違いかもしれない」と思い込んだところで「コノヤロー」は変わらない。
しかし、認識できない世界があることをかのカエルに学んだ。

ところで彼が全体のことを不思議と把握していて、田んぼで「ありがとう」なんて言ってくれるなら、そりゃあ嬉しい。

エネルギー

あらゆる写真には主題がある。
切り取られた景色は写真の一部に過ぎず、撮影者にシャッターを押させた主題こそ体である。
「見る者に訴える」とは、主題がそのまま心象になることだ。

ポートレートがあったとしよう。
女性がこちらを向いて笑っている。
それが恋人に向けられた笑顔なら、主題は信頼であったり安心であったりするだろう。
それが宣伝用のポスターなら、主題は情であったり周知であったりするだろう。商業カメラマンの腕が良ければ信頼や安心も付随し、より高い宣伝効果を得るだろう。

その写真を恋人が撮ったのか商業カメラマンが撮ったのかは問題でない。
同じ写真を前に、愛を感じる人も、あざとさを感じる人も、通り過ぎる人もいるだろう。
あなたがその写真に引きつけられたのなら、主題によって引きつけられたということだ。

主題はエネルギーである。
心象となっていよいよ生きる。

お知らせ

2018年6月より、今泉光太郎の屋号が『WHERE TO GO?』から『みろく文庫』へ変わりました。
とてもいい名前だとおもいます。

これに伴い、URLやメールアドレスも一部変更となります。
本件に関するお問い合わせは今泉まで直接お寄せください。

新しいURL
https://369bunko.com

おふとん丸

おふとん丸に乗ずれば
頓に目覚めし夜明けかな


おふとん丸は不思議な船である。
数え切れないほどの眠りを経験しながら、眠る瞬間の記憶がまるでない。

おふとんに入るところはよく覚えている。
寝返りをうったり考え事をしたり、時には羊を数えたり、これらもよく覚えている。
いつ眠ったのか、その瞬間が分からない。
目覚めると「たしかに眠っていた」と知れるのだが、眠りの瞬間はまるで無かったかのようだ。

眠っている時間もまた不思議である。
例えば点滴なんかで「3時間くらい横たわっていろ」と言われれば苦痛でたまらないが、おふとん丸に揺られる6時間には快適という意識すらない。
おふとん丸は時間の進み方がちがう。

それでいて眠れない夜には、喚べば喚ぶほど遠ざかるおふとん丸である。
乗ろうと思って乗れる船ではない。
喚んでもこないおふとん丸に、気づいたら乗せられて、朝。