カエル講話

近所の田んぼ沿いを歩いていると、ときどきポチャンとカエルの飛び込む音がする。
いつも驚かせて申し訳ないなと思っていたら、ある日、道路側に飛び出すカエルに会った。
彼の進行方向はクルマに轢かれる方角である。
そうして実際にクルマがきた。

仕方がないので彼の行き先を手でシャットアウトし、その手で触れた。
彼は私の思惑どおり進路を変え、田んぼへポチャンと帰っていった。
クルマは何事もなく過ぎて行った。
私は正直なところ「いいことをしたから、いいことがあるといいな」と思った。

ただ、彼の身になってみればクルマの脅威など知らず、行動を妨げられただけである。
感謝するどころか、驚かせやがって、というのが実際のところだろう。
つまるところ、全体が見えないと分からないのだ。

今回はぼくがカエルに関係したケースだが、宇宙から見ればぼくは塵のようなものだ。
認識不可能な世界がぼくに関係し、コノヤローと思わされても、実は勘違いかもしれない。
もちろん「勘違いかもしれない」と思い込んだところで「コノヤロー」は変わらない。
しかし、認識できない世界があることをかのカエルに学んだ。

ところで彼が不思議と全体のことを把握していて、田んぼで「ありがとう」なんて言ってくれるなら、そりゃあ嬉しい。

エネルギー

あらゆる写真には主題がある。
切り取られた景色は写真の一部に過ぎず、撮影者にシャッターを押させた主題こそ体である。
「見る者に訴える」とは、主題がそのまま心象になることだ。

ポートレートがあったとしよう。
女性がこちらを向いて笑っている。
それが恋人に向けられた笑顔なら、主題は信頼であったり安心であったりするだろう。
それが宣伝用のポスターなら、主題は情であったり周知であったりするだろう。商業カメラマンの腕が良ければ信頼や安心も付随し、より高い宣伝効果を得るだろう。

その写真を恋人が撮ったのか商業カメラマンが撮ったのかは問題でない。
同じ写真を前に、愛を感じる人も、あざとさを感じる人も、通り過ぎる人もいるだろう。
あなたがその写真に引きつけられたのなら、主題によって引きつけられたということだ。

主題はエネルギーである。
心象となっていよいよ生きる。

お知らせ

2018年6月より、今泉光太郎の屋号が『WHERE TO GO?』から『みろく文庫』へ変わりました。
とてもいい名前だとおもいます。

これに伴い、URLやメールアドレスも変更となります。
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おふとん丸

おふとん丸に乗ずれば
頓に目覚めし夜明けかな


おふとん丸は不思議な船である。
数え切れないほどの眠りを経験しながら、眠る瞬間の記憶がまるでない。

おふとんに入るところはよく覚えている。
寝返りをうったり考え事をしたり、時には羊を数えたり、これらもよく覚えている。
いつ眠ったのか、その瞬間が分からない。
目覚めると「たしかに眠っていた」と知れるのだが、眠りの瞬間はまるで無かったかのようだ。

眠っている時間もまた不思議である。
例えば点滴なんかで「3時間くらい横たわっていろ」と言われれば苦痛でたまらないが、おふとん丸に揺られる6時間には快適という意識すらない。
おふとん丸は時間の進み方がちがう。

それでいて眠れない夜には、喚べば喚ぶほど遠ざかるおふとん丸である。
乗ろうと思って乗れる船ではない。
喚んでもこないおふとん丸に、気づいたら乗せられて、朝。

アルパカはかわいいどうぶつ

アルパカという名前のどうぶつを知ったのは、木彫りのアルパカを見たのがはじめてだ。
いや、マフラーの素材だったっけ。
とにかく本物のアルパカを見る前に「アルパカはかわいいどうぶつ」と認識してしまったのである。
そうしてそれは、画像検索によると、間違いではなかった。

「アルパカに会いたいなあ」と想い続けて幾年月。
アルパカのいる動物園は把握していた。
動物園に行くのは寒い季節が適しているとも考えていた。
フットワークだけが不足していた。
気力体力ときいたり、ようやくアルパカをこの目に見たのである。

その瞬間のぼくは、ちょっとした感動を覚えていた。
やっと会えたというよりも、じぶんより体の大きなどうぶつが動いている、たったそれだけの、不思議な感動。

かれが大きな目をパチクリしながら歩いたり座ったりするのを見ていると、なんだか純粋なものを感じた。
かれは自動車保険のこととか、振り込め詐欺に気をつけようとか、海鮮丼のこととか、ひとつも考えていない。たぶん。

「純粋だって? 考えないのを純粋というのなら……」

いや、分かっているよ。
目の前のどうぶつを純粋と言ったら、純粋という言葉そのものや、いろんな事象が破綻するよ。
ぼくが感じたままを口にした、それがたまたま純粋という言葉だったんだ。

動物園に行かなくても、どうぶつには会える。
でも、でっかいどうぶつに会うと、何か特別な不思議を感じる。
理屈じゃない面白さ。