アルパカという名前のどうぶつを知ったのは、木彫りのアルパカを見たのがはじめてだ。
いや、マフラーの素材だったっけ。
とにかく本物のアルパカを見る前に「アルパカはかわいいどうぶつ」と認識してしまったのである。
そうしてそれは、画像検索によると、間違いではなかった。
「アルパカに会いたいなあ」と想い続けて幾年月。
アルパカのいる動物園は把握していた。
動物園に行くのは寒い季節が適しているとも考えていた。
フットワークだけが不足していた。
気力体力ときいたり、ようやくアルパカをこの目に見たのである。
その瞬間のぼくは、ちょっとした感動を覚えていた。
やっと会えたというよりも、じぶんより体の大きなどうぶつが動いている、たったそれだけの、不思議な感動。
かれが大きな目をパチクリしながら歩いたり座ったりするのを見ていると、なんだか純粋なものを感じた。
かれは自動車保険のこととか、振り込め詐欺に気をつけようとか、海鮮丼のこととか、ひとつも考えていない。たぶん。
「純粋だって? 考えないのを純粋というのなら……」
いや、分かっているよ。
目の前のどうぶつを純粋と言ったら、純粋という言葉そのものや、いろんな事象が破綻するよ。
ぼくが感じたままを口にした、それがたまたま純粋という言葉だったんだ。
動物園に行かなくても、どうぶつには会える。
でも、でっかいどうぶつに会うと、何か特別な不思議を感じる。
理屈じゃない面白さ。