じぶん裁判

今日はおフロに入るのが面倒だなあ、という日がある。
そういう日はハミガキも面倒だし、できることなら着の身着のまま眠ってしまいたい。

こんなとき、じぶん裁判所では怠惰が原告となり、ぐうたらの必要性や快適性を主張する。
被告たる理性に優秀な弁護士がつくことはなく、だいたい不利である。

翌日ひとと会うとか、たくさん汗をかいたとか、そんな情状があると原告の態度も軟化するのだが、じぶん裁判が開かれるのは、大抵なんてことない夜なのだ。

逆に、これが極端に疲れた日だとか、さんざん飲んで酔った日だったら、怠惰は理性に訴えるまでもない。
むしろ理性のほうが「寝てよし」とするため、じぶん裁判所もまったく面倒でない。

じぶん裁判の結果がどうあれ、怠惰がその実現のために訴えるのは、どうも皮肉なことである。
怠惰は能動によって本質を失い、主体たるぼくも怠惰でないという結論にいたる。
「どうしようかな」と思った時点で、あなたもわたしもナマケモノでないのだ。
安心してよい。